こんにちは☆一砂です(@kazunabear)
大内義隆の野望 第4話 西へ
前回のあらすじ
九州の有馬家に武将が8人も居ることに目をつけた義隆は、有馬家に対し宣戦布告。臣従の申し入れも拒否し滅亡に追い込んだ。
有馬家に宣戦布告すると同時に東方面では四国の河野家に宣戦布告し四国に上陸する大内軍であったが、河野家をあと一歩で滅亡させる段階で西園寺家の領土が邪魔になり進軍を停止。
従属している三村家に山名家が宣戦布告してきたため、三村家救援と山名家の城を攻落するために山名家に宣戦布告するのであった。
攻略開始
第3話の最後で山名家の『八橋城』を攻落させるために軍を集結していた大内軍。
しかし『八橋城』へ進軍する前に、三村家に対し浦上家が宣戦布告してきました。山名家が進軍する『高田城』の救援は諦め、浦上家が進軍する『備中松山城』の救援に向かいます。
1545年12月
山名家から兵糧26300譲渡するので講和してくださいと言ってきたので、少し考えましたが山名家に宣戦布告したのは『八橋城』を攻落する目的もあったので、講和を受け入れました。
山名家と講和
『備中松山城』に到着したのですが、以前浦上家が城を包囲したままで救援できていません。
宣戦布告しないと従属先に攻めてきた軍とは戦にならないみたいです。
1546年2月
浦上家に宣戦布告
野戦は指揮せずに勝てるようなので委任。浦上軍を壊滅させました。
『備中松山城』に山名家が攻めてくる恐れもありましたが、講和していてどうしようもないため『岡山城』へ進軍。
1546年2月
『岡山城』攻落
1546年2月
『岡山城』を落とされたことにより浦上家が臣従の使者を送ってきました。ですがこれから東へ進軍しないといけない大内家にとって山陽道の浦上家は邪魔な存在であるし、家臣の宇喜多くんが欲しかったので拒否。
1546年2月
『岡山城』に続き『天神山城』も抵抗なく落ちました。
『天神山城』攻落
1546年4月
『津山城』攻落
1546年4月
『室津城』と『下津井城』の同時攻略を開始しました。
1546年5月
『室津城』攻落
『下津井城』も簡単に落とせるであろうと判断して周辺の城から軍を進めたのですが・・・駄目だったので、結局『室津城』を攻落させた陶隆房を『下津井城』へ向かわせることに。
1546年7月
『下津井城』攻落
浦上家滅亡
浦上家は最初の『備中松山城』攻防戦で壊滅してから兵を出してきませんでした。兵糧がなかったのかもしてませんね。
今回は浦上家滅亡したところで終了です。
領土もかなり広くなってきましたが、まだ安全な地がないので兵数を減らすことができません。
九州を制圧して安全地帯を作るか、同盟を組んで後顧の憂いを無くして上洛するのか・・・乞うご期待
まとめ
今回の進捗状況
- 1545年12月 山名家と講和
- 1546年02月 浦上家に宣戦布告
- 1546年02月 『岡山城』攻落
- 1546年02月 『天神山城』攻落
- 1546年04月 『津山城』攻落
- 1546年04月 『室津城』攻落
- 1546年07月 『下津井城』攻落
- 1546年07月 浦上家滅亡