こんにちは♪一砂です(@kazunabear)
大内義隆の野望第2話 西国の覇者
前回のあらすじ
戦国乱世に山口の地から覇を唱えた大内義隆は九州北部の大名『秋月家』に宣戦布告
宣戦布告と同時に秋月家から臣従の使者が来たものの、これを却下し秋月家を滅ぼす。
尼子家が毛利家に宣戦布告し本拠の月山富田城をほぼ空にするのを確認した義隆は尼子家に宣戦布告
月山富田城の手前に位置する三刀屋城で尼子軍と激突するも撃破し月山富田城を落城させるのであった。
攻略開始
1543年8月
4月に締結した尼子家との講和があるため尼子家に宣戦布告できないため、九州にさらに進出。
少弐家に宣戦布告
8月に宣戦布告したのは9月に兵糧が入るため、それを見越しての出陣です。
すぐに臣従の使者が来ました。
秋月家は今後九州進出するうえで場所的に邪魔だったし、従属したら大友に攻められる恐れをあったので攻め滅ぼしましたが、少弐家は特に邪魔にもならないし臣従を承諾
1543年8月
少弐家従属
出陣させた兵をそのまま解散するのは無駄になるので・・・
1543年8月
龍造寺家に宣戦布告
1543年11月
龍造寺家からの反撃もないまま『村中城』攻落
1543年11月
抵抗がないためさらに進軍し『獅子ヶ城』包囲開始
城攻め案の中に水攻めがあり、金10000で水攻めができるとの報告。
試しに水攻めしてみました。水が溜まるまでタイムラグがありますが水攻め完了。
1544年2月
『獅子ヶ城』攻落
この時点で兵糧が残り13000しか無いことに気がつきますが、さらに進軍。
1544年5月
足りなくなりそうな兵糧を従属している大名との金銭取引で補填して城攻めは強攻です。
城が落ちるか、こちらの兵糧が尽きるか・・・
『肥前鹿島城』攻落
龍造寺家滅亡
龍造寺家の優秀な家臣団を配下とすることができました。
1544年9月
尼子家に宣戦布告
従属している小早川家の城に進軍し、『神辺城』と『扇山城』どちらに進軍するか考えました。
結果的には大内義隆を本体とする軍と月山富田城の陶君を中心とする別働隊で攻めることになり
1544年10月
別働隊が進軍中に尼子軍と激突するも「指揮なさらずとも・・・」と出たので委任して撃破。
その後『扇山城』を包囲するも兵が逃げ出し手に入れました。
本体は目標を『神辺城』として進軍
1544年11月
たいした抵抗がないまま『神辺城』攻落
問題はここまで攻めたものの、これからどうするかでした。
このまま東の浦上家に攻め込むのか、それとも四国の河野家に攻め込むのか・・・
兵数は浦上の方が多いが今後上洛をするうえで『備中高松城』は落として前線基地としておきたかったのもあり
1544年11月
浦上家に宣戦布告
従属している三村家の領土を通って『備中高松城』へ向かいます。
『備中高松城』目前にして浦上家から講和の使者が来ます。
講和の条件として兵糧24000出すと言ってきました。
兵糧が無くて苦しんだ龍造寺戦の経験もあり、結構悩んだのですが講和交渉拒否!
現状32000もの兵糧が有るし、とりあえず『備中高松城』がほしかったので拒否しました。
1545年2月
『備中高松城』攻落
『備中高松城』には商圏として倉敷商圏があり、独占可能だったため独占。
これにより独占した大商圏は『博多商圏』、『出雲商圏』、『倉敷商圏』の3つになりました。
1545年2月
まだ戦争中の尼子家最後の城『新山城』に進軍開始し、臣従の使者が来るも拒否。
1545年3月
『新山城』攻落
尼子家滅亡
浦上家と講和
尼子家を滅ぼし名実ともに西国の覇者になったところで、今回は終了です。
支配地域も九州から岡山まで広がりました。
浦上家と講和して東への道がしばらく閉ざされたので、次は河野家に宣戦布告するか、九州の大友家が大きくならないうちに叩くかのどちらかになると思います。
まとめ
今回の進捗状況
- 1543年08月 少弐家に宣戦布告
- 1543年08月 少弐家従属
- 1543年08月 龍造寺家に宣戦布告
- 1543年11月 『村中城』落城
- 1544年02月 『獅子ヶ城』落城
- 1544年05月 『肥前鹿島城』落城
- 1544年05月 龍造寺家滅亡
- 1544年09月 尼子家に宣戦布告
- 1544年10月 『扇山城』落城
- 1544年11月 『神辺城』落城
- 1544年11月 浦上家に宣戦布告
- 1545年02月 『備中高松城』落城
- 1545年03月 『新山城』落城
- 1545年03月 尼子家滅亡
- 1545年03月 浦上家と講和
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