こんにちは♪一砂です(@kazunabear)
大内義隆の野望 第6話 包囲網の先に
前回のあらすじ
従属していた少弐家を家臣に取り込むことにした大内家であったが、その取り込みが引き金となり周辺大名を刺激し大内包囲網を形成されるのであった。
大友家や細川家といった周囲の有力大名から包囲され次々と軍を進められることになり、天下を目指してはじめての国難を迎えることとなる。
本拠地としていた山口館にも大友の大軍が迫るなか、九州では柳川城を攻落し秋月城では大友軍から防衛成功するなど大友家を撹乱する大内家。
撹乱が成功したのか山口館に迫っていた大友軍は城を目前にして謎の退却。
四国では宇喜多が指揮する軍が西園寺家の侵攻を食い止めることに成功。
しかし、いまだ能島城には細川家の大軍が迫っていたのであった。
攻略開始
『下津井城』を防衛した尼子国久は細川所有である四国の城を攻落するため上陸します。
カウンター作戦ですね。
1546年12月
『天露城』攻落
そしてとうとう細川家の大軍が『能島城』に到着。
でもよくよく調べてみると、能島城の兵数上限は少ないので、そこまでビビる必要はなかったですね。
流石にここは自分で指揮をとって細川軍撃破!しかし、こちらの総大将も同時に撃破されたため、こちらの軍も壊滅しました・・・
『能島城』防衛に成功
九州では阿蘇軍を撃破することに成功。
兵数がこちらも減ったものの、撃破した勢いで『隈本城』へ進軍します。大友家はどこに向かうのかいまだに分かりません。
1546年12月
『八橋城』攻落
『鳥取城』にも兵を進めていますが、山名家の軍が三村軍に迫っています。その数約1.8倍
大内義長が元服しました。ですが能力が低いので、家督を譲れるのか心配です・・・
1547年1月
『白地城』攻落
細川家は大軍を失っていて援軍を出してきませんでした。
四国の中心にあって、この城を押さえることは四国制圧に向け良い前線拠点になりますね。
本山家が『鷺ノ森城』を狙って進軍してきます。当然待ち構えるのは宇喜多くん
兵数もこっちが多いので負ける要素なし。
当然指揮せず撃破。『鷺ノ森城』防衛成功。
1547年2月
『羽衣石城』攻落
陶隆房の軍も兵数が少なくなってきたので、尼子国久を救援に向かわせます。
しかし、操作を間違えてしまい『八橋城』に移動・・・武将が居ない『羽衣石』城を陥落されてしまいました。
すぐに『羽衣石城』へ進軍
1547年3月
『隈本城』攻落
ですが目前には阿蘇家の軍が迫っており、奪還されそうな気がかなりします。
1547年3月
『羽衣石城』攻落
1547年3月
大内包囲網の結成期間が過ぎ講和を結べるようになりました。
なんとか国難を乗り切ることができました~♪
すぐに講和の使者を送り
大友家と講和
西園寺家と講和
本山家と講和
一条家と講和
1547年4月
講和の使者が間に合わす
『隈本城』陥落
1547年4月
山名家と講和
細川家と講和
阿蘇家と講和
包囲網を結成し敵対した大名家すべてと講和が完了しました。
今回はどんどん攻めてくるから兵糧が少ないときに包囲網を結成されると大変な事態になりますよ。
今回の包囲網で損をしているのは山名家ですね。
城を4つも取られたわけですからね。大友家は1つ、細川家は2つ失いました。
結局『山口館』から引き返した大友軍は謎の動きをして最終的に帰城・・・
講和完了時の領土です。
包囲網を結成され、いろいろと大変でしたが、同時多数の戦の指示とか面白い展開になりました。いままでの信長の野望よりは包囲網が生きていますね。
今回は大内包囲網をしのいだところで終了です。
かりそめの平和が訪れた西日本ですが、復讐に燃える大内家は講和が終了する半年後に向け兵力を蓄えます。
まとめ
今回の進捗状況
- 1546年12月 『天露城』攻落
- 1546年12月 『能島城』防衛戦勝利
- 1546年12月 阿蘇軍撃破
- 1546年12月 『八橋城』攻落
- 1547年01月 『白地城』攻落
- 1547年01月 『鷺ノ森城』防衛戦勝利
- 1547年02月 『羽衣石城』攻落
- 1547年02月 『羽衣石城』陥落
- 1547年03月 『隈本城』攻落
- 1547年03月 『羽衣石城』攻落
- 1547年03月 大友他3カ国と講和
- 1547年04月 『隈本城』陥落
- 1547年04月 細川家他2カ国と講和